シンプルであること

よく、「シンプル」という形容詞や状態についての話を聞く。

  • シンプルで分かりやすい。
  • もっとシンプルにならない?
  • 最終的にはシンプルになったほうがいいよね。

とか。

つまり、「シンプル」という単語が入ってきている文面や言葉は、ポジティブなことか、今よりもポジティブになるときに、使われることが多い。

で、思ったんですが、なんでみんな「シンプル」なものや状態っていいと思うんだろうか。


以前、村上春樹さんが話していたこんな文章を読んだことがある。

僕は必要以上の意味を文章に含ませない。
ぜかといったら、文章にはリズムやフットワークが必要だからだ。

余計な重みはいらない。贅肉をとらないといけない。

と。

リズムやフットワークがある文章。
それは言い換えれば、読んでいて心地よく、しかも余計な情報がないゆえに、読む人に創造力を与えてくれ、読む人毎にいろんな世界が広がる文章。

そういうことを可能にする文章と言うことだと思う。


プレーンヨーグルトなんかもその最たるものかもしれない。


シンプルな味と真っ白い形は、いろんなものに化ける。

何かのジャムをいろいろと入れて、自分好みの味を作ってもいいだろうし、何かの料理に入れて、その料理そのものを豊かにしてもいいだろうし。

使う人によって全く違う使われ方をするし、いろんな創造力を働かせる「余地」がある。


茂木健一郎さんがよく言う、「人間の脳はオープンエンド性(終わりがないということ)という特徴があるがゆえに面白い」ということとも繋がる。
終わりがないがゆえに、その可能性は無限に広がり、様々なイノベーションが生まれる。

この「終わりがない」ということは、まだまだ何かが生まれる「余地」があるということで、村上春樹が言う「リズムやフットワークがある文章」や「プレーンヨーグルト」なんかとも通じるものがある。

「機能的なシンプル」だけではダメで、そこに「オープンエンド性」という要素があるものが、みんなが好きな「シンプル」ということになるんではないだろうか。


シンプル×オープンエンド性


遊びや創造力を発揮できる「シンプル」って、これからも絶対必要な要素だと思う。