大量生産について

一般的に、少量生産商品というのは、ありがたがられます。

「希少価値」という言葉あるように、少ないこと自体が「価値」を生みます。
それゆえ、限定○個とか、残り○個という言葉に人は、思わず財布の紐を緩めてしまいがちです。

持っている人が少ない、自分だけが持っている、特別なものを持っている
という、人の心を揺らします。

それと同じように、「手作り」という言葉自体にも、人は「価値」を見いだします。

それは、その商品自体に「心」がこもっているように感じられるからなんでしょうか。

手で丹念に作っているもの = いいもの

というイメージが湧くからなんでしょうか。

そこにあいまって、「手作り」で「少量」というもの自体は、とても「価値」が
高くなる傾向があります。

その反対に、工場で機械によって同じようなものが大量に作られるモノに対しての
印象って、あまりよくありません。

実際に、同じようなある2つの商品に、各々に説明書きを

・手作りで少量のモノ
・工場で大量生産したモノ

と入れ、料金は同じ場合、多くの人は、「手作りで少量のモノ」を
選びますよね。

「少量」という「価値」と、「手作り」が生む「イメージ」が勝つと思います。


以前、知人が、
「大量生産された同じような商品ばかりが店頭に並んで面白くない。
職人のこだわりが出ている、手作りの商品が店頭に並ぶようにしたい」
という話をしていました。

その時は、「そうだなぁ。確かに。」なんてぼんやり聞いていましたが、
なんとなく心に引っかかっていました。


何が引っかかっていたのか。

大量生産された商品って、それだけでダメなわけではいよなぁ、
ということなのかな、と思います。

その知人のように、「大量生産」=「あんまりよくないモノ」という
イメージってたぶん、結構一般的にあると思います。

でも、人が喜んでくれるものとか、役に立つものとか、そういうものを
自分が作ることが出来た場合、それを多くの人に使って欲しい、という
ように自分では考えると思います。

本当にいいな、と思うものは、大量生産ということは是非してみたい。


「大量生産」=「あんまりよくないモノ」


という図式が先にきていることがたぶん本末転倒なんだろうなぁ。


いいものを作る、それを大量生産して、多くの人に使ってもらえるようにする
ということを、やっていきたいなぁなんて感じます。